ワンと言えば僕は犬

摂食障害とADHD、躁鬱、解離性人格障害の恋人との同棲日記

最近の事

前回ブログを書いてから約一ヵ月が経ってその間の事を書こうと思う。

現状として恋人は少し落ち着いてきたが3日前ぐらいまでほぼ毎日恋人は食べ物をしっかり受けつける事が出来ない状態だった。
吐かないようにと思って食べ物を食べても少しでも満腹感が生まれると吐かなきゃという強迫観念に駆られて吐いて、吐いたことでまたお腹が空いて食べて、また吐いてを繰り返して、身体が飢餓状態になって食べたいものを我慢しなきゃいけない事へのストレスから過食嘔吐をしてという状態だった。
僕が家にいないときにそうなっていた様で、てっきり僕は良くなってきているものだと思い込んでいた。

恋人の身体と精神は勿論だか僕の精神にも悪循環をもたらしていた。

冷静でなくなった時の僕が書き殴っていた文章によると

ーーー疲れてしまって最近は恋人の精神が荒れた時に止めるだけの力がなくなってきている。
過食嘔吐リストカットも俺が奪ったらしい。
やめたいけどすぐにはやめれないとの事だ。
何が正しいのか最近はもう分からなくなってきてしまっているし僕自身、自分の精神状態がぎりぎりなのを感じている。
自分の頭がくらくらしてくるのが分かる。
ぎりぎりなのだ。
こうするのがきっといい方向に向かうと思っていても無駄な結果に終わることが大半だ。
信じているし信じたいと思うが期待をしすぎる事で悲しくなってしまう事が多い。
荒れた後冷静になると謝ってもう絶対しないからと言う言葉をあまりに信じすぎていたのかもしれない。何度も何度も。
僕に出来る事は精一杯やってきたつもりだ。
ただ結果としてはつもりだったのだろう。
きっともっと何か出来たのだろう。
1日のうちに何度も何度も躁と鬱を繰り返す恋人を見ているとどの恋人を信じたらいいのだろうかという気持ちにもなるーーー

との事だ。

この文章を書いた日は喧嘩をしたと思う。
そのあとでまた冷静に話し合いをして一緒に暮らす事をやめるべきなのか、それでも一緒にいたいのならどうしていくのかいいのかを話し合った。

もうすでに恋人にも伝えた事だが、僕の中で出した結論が一つあって
僕が精神的に疲弊してしまっていた理由としては何度も恋人を信じていた事、それがダメだった時に何度も悲しくなってしまっていた事、それが積もっていった事が大きかった。
それが例えば何でもない事、自分の意思一つでどうとでも出来る事で繰り返していたのならきっとだめだったと思う。
ただ恋人は精神の病で自分の意思だけでどうにかする事は難しい事で、そもそもそこに対して短期的に信じる心の比重を置きすぎていた事が僕のあり方として違っていたのだ。

必要だったのはもっと大きく広く長く恋人を信じる事で、恋人は僕と一緒に生きていく為に病気を良くしていこうと頑張ってくれている、勿論今すぐは難しいがそれでも何年間も続いていたものを良くしようとしていて結果として少しずつではあるが良くなってきている事を信じる事。
つまりたとえ恋人が吐いてしまっても、過食嘔吐をしたくなってもそれを止める事はしないで、今だけに焦点を当てるのではなくてもっと広い視点で捉えて、恋人は必ず病気を良くするという事を信じる事に僕は決めたのだ。

もう一つ僕の中で大きな変化があって、それは自分は無力だと認める事が必要だった。
おれがなんとかする、おれがどうにかするからと何度も恋人に言ってきたが、僕にはどうにも出来ない事だったのだ。
だからと言って勿論何もしないわけではないが、精神病を治せるのは当人以外誰もいないのだと思う、それが認知療法が主な治療方法であればあるほど周りの人間に出来る事は少ない。
僕に出来る事は彼女はきっと病気を良くすると信じてそれを見守っていく事なのだ。
勿論何か恋人の精神にとって変化が生まれるであろう何かがあったらそれを提案するが決めるのは恋人自身だ。

友人の彼女に僕の恋人と少し似たタイプの摂食障害を持っている女の子がいて4人で会う事になっている、それが何か恋人にとって何か考え方のヒントが生まれる機会になればいいなと思っている。

長くなったが今回書きたかった事は、僕は無力だと認めた事、その上で自分に出来る事をやっていく事、恋人をもっと大きく広く長く信じる事を決めた事だ。
2人ならきっと大丈夫だ。